此処は七罪が気紛れに珈琲について語るブログです。
Posted by 七罪【ナツミ】 - 2021.01.02,Sat
Hu jambo!
今日は珈琲と言うか珈琲みたいに
グイグイ飲めるように読めてしまう本、
kemioさんの『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』を
御紹介致します
此のハイテンションさクセになってしまいます( *´艸`)
貶す訳ではないのですが此の本の文章は
滅茶苦茶丁寧で綺麗な文章と言う訳ではありませんが
喉につっかえる事無くスルスルと読めてしまいます。
綺麗に取り繕わないからこその読み易さなのかも知れません。
内容はkemioさんの今に至る迄のお話と
kemioさんの考え方について
あのkemioさん特有の独特の語彙表現で書かれています
何かと生き辛さを感じてしまうこんな時代、
息苦しさに日々思い悩んでしまう人も
少なくはないんじゃないでしょうか?
そんな時に是非此の本を読んで貰いたいのです。
自分の弱さを受け入れて寄り添う事、
他人の勝手な価値観に嵌らず自分らしく在る事、
遣りたいと思った事は後回しにしない事、等々
生き易くなるポイントも書かれているので
全力疾走する前にガソリン代わりに
なってくれるんじゃないでしょうか?
因みに俺が購入したのは文庫本版で
最初に発行された本の内容に加えて、
書き下ろしも有りつつ価格も最初よりお手頃なので
ちょこっと息抜きに読むのにも御勧めっす(*´▽`*)
Tutaonana tena!
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今日は珈琲と言うか珈琲みたいに
グイグイ飲めるように読めてしまう本、
kemioさんの『ウチら棺桶まで永遠のランウェイ』を
御紹介致します
此のハイテンションさクセになってしまいます( *´艸`)
貶す訳ではないのですが此の本の文章は
滅茶苦茶丁寧で綺麗な文章と言う訳ではありませんが
喉につっかえる事無くスルスルと読めてしまいます。
綺麗に取り繕わないからこその読み易さなのかも知れません。
内容はkemioさんの今に至る迄のお話と
kemioさんの考え方について
あのkemioさん特有の独特の語彙表現で書かれています
何かと生き辛さを感じてしまうこんな時代、
息苦しさに日々思い悩んでしまう人も
少なくはないんじゃないでしょうか?
そんな時に是非此の本を読んで貰いたいのです。
自分の弱さを受け入れて寄り添う事、
他人の勝手な価値観に嵌らず自分らしく在る事、
遣りたいと思った事は後回しにしない事、等々
生き易くなるポイントも書かれているので
全力疾走する前にガソリン代わりに
なってくれるんじゃないでしょうか?
因みに俺が購入したのは文庫本版で
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Posted by 七罪【ナツミ】 - 2021.01.01,Fri
Heri Za mwaka mpya!
新年明けまして御目出度う御座います!
冒頭の「Heri Za mwaka mpya!」は
スワヒリ語で「明けまして御目出度う御座います!」
と言う意味です!
英語もスワヒリ語もちまちま勉強するものの
使う機会が作れずにイマイチ上達しません
去年は珈琲まめっこ倶楽部を任せて貰ったり
御袋の御友人の旦那さんに経営についてお話を伺う心算が
間借りで1日カフェをする事になったりと
色々と経験出来た激動の1年でした!
今年は去年よりも少しだけ落ち着きつつ
マイペースに前進する1年したいです!
そんな訳で今年の年賀状はマンデリンちゃんです☕
今年もマイペースに活動して参りますので
何卒宜しく御願致します!
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新年明けまして御目出度う御座います!
冒頭の「Heri Za mwaka mpya!」は
スワヒリ語で「明けまして御目出度う御座います!」
と言う意味です!
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使う機会が作れずにイマイチ上達しません
去年は珈琲まめっこ倶楽部を任せて貰ったり
御袋の御友人の旦那さんに経営についてお話を伺う心算が
間借りで1日カフェをする事になったりと
色々と経験出来た激動の1年でした!
今年は去年よりも少しだけ落ち着きつつ
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そんな訳で今年の年賀状はマンデリンちゃんです☕
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Posted by 七罪【ナツミ】 - 2020.12.20,Sun
Hu jambo!
本日第2回珈琲まめっこ倶楽部の1日カフェが
無事に終了致しました!
いやはや第2回とは言っても緊張はします、シンプルに!
1日カフェの場所は今回も前回と同じく
PETIT BAKERY DOROTHY ZAKKA-YA-169さんでした♪
今回も御協力下さったDOROTHYさんとオーナーに
心より感謝申し上げます(*´ω`*)
キリマンジャロ激推しマンですが
今回はホンジュラス HGとブラジル サントス No.2を
カップと販売用のお豆さんで御用意したのですが
予想では定番であるブラジル サントス No.2が
圧倒的に売れるんじゃないかと予想したのですが
意外にもホンジュラス HGの圧勝でしたΣ(・ω・ノ)ノ!
そして今回も沢山の御客様に美味しいと言って頂けて
嬉しさのあまり飛び回ってしまいそうでした!
珈琲は自由なので砂糖もミルクも入れて良いんですけど
前回同様に今回も無乳無糖で召し上がって頂けたのが
頗る嬉しかったっす( *´艸`)
高校時代に仲良くしてくれたしぃちゃんの
母君様が来てくれて少しだけしぃちゃんの話も出来ました
若い頃にカフェをしていた事も有ったそうなんすけど
「遣ってみたいって思ったから取り敢えず遣ってみた」
・・・・てパワフル過ぎる!
だって若い頃って事はまだしぃちゃんも小さいだろうから
子育ても有るのにカフェもするって
しぃちゃんの母君様半端無いし
シンプルに格好良過ぎるでしょ✨
やっぱり何事も遣ってみたいと思った時が
動き時なんだなぁと痛感しました!
そんなこんなで楽しく営業させて頂きました!
お越し頂いた皆様、有難う御座います(*´▽`*)
第3回がいつになるのかは解りませんが
今後もマイペースに活動していけたらと思います!
オーナーが1日カフェの様子を撮影してくれたので
一緒に載せておきますね
DOROTHYさんと一緒に写って下さった御客様には
撮影・掲載許可頂いておりますので御安心下さいませ!
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本日第2回珈琲まめっこ倶楽部の1日カフェが
無事に終了致しました!
いやはや第2回とは言っても緊張はします、シンプルに!
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PETIT BAKERY DOROTHY ZAKKA-YA-169さんでした♪
今回も御協力下さったDOROTHYさんとオーナーに
心より感謝申し上げます(*´ω`*)
キリマンジャロ激推しマンですが
今回はホンジュラス HGとブラジル サントス No.2を
カップと販売用のお豆さんで御用意したのですが
予想では定番であるブラジル サントス No.2が
圧倒的に売れるんじゃないかと予想したのですが
意外にもホンジュラス HGの圧勝でしたΣ(・ω・ノ)ノ!
そして今回も沢山の御客様に美味しいと言って頂けて
嬉しさのあまり飛び回ってしまいそうでした!
珈琲は自由なので砂糖もミルクも入れて良いんですけど
前回同様に今回も無乳無糖で召し上がって頂けたのが
頗る嬉しかったっす( *´艸`)
高校時代に仲良くしてくれたしぃちゃんの
母君様が来てくれて少しだけしぃちゃんの話も出来ました
若い頃にカフェをしていた事も有ったそうなんすけど
「遣ってみたいって思ったから取り敢えず遣ってみた」
・・・・てパワフル過ぎる!
だって若い頃って事はまだしぃちゃんも小さいだろうから
子育ても有るのにカフェもするって
しぃちゃんの母君様半端無いし
シンプルに格好良過ぎるでしょ✨
やっぱり何事も遣ってみたいと思った時が
動き時なんだなぁと痛感しました!
そんなこんなで楽しく営業させて頂きました!
お越し頂いた皆様、有難う御座います(*´▽`*)
第3回がいつになるのかは解りませんが
今後もマイペースに活動していけたらと思います!
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Posted by 七罪【ナツミ】 - 2020.11.02,Mon
Hu jambo!
立て続けに重い話をしてきましたが
今日のお話はそんなに重くないお話です!
実は俺、中学生迄シスコン兼ファザコンで
家族の中でも次女ちゃんと親父が大好きでした!
過去形になりましたが
次女ちゃんの事は今でも大好きっす!
じゃあ御袋や末妹ちゃんは如何なのかと言うと
小学校中学年くらいから大嫌いでした。
今でこそ「他人は他人、俺は俺!」と
声を大にして主張していますが
子供の頃はそんな事主張出来ないくらい
今以上に心身共に雑魚でした。
其々好きだった理由と嫌いだった理由を
サクッと話していくっす!
次女ちゃんの事が昔も今も大好きな理由は、
文武両道で自分と言うものを強く持っていたから。
親父の事が好きだった理由は
強くて格好良くて厳しいけど
不意に優しくしてくれるから。
御袋の事が嫌いな理由は
鳩子への想いをこっそり御袋にだけ打ち明けたら
翌日ばっちゃんをはじめとした親戚にバラされて
鳩子に暫く口きいて貰えなくなったから。
末妹ちゃんの事が嫌いな理由は
ちょっちドジ踏んでも皆に可愛がられてた所と
甘ったれた思考が気に食わなかったから。
好きな理由はまぁ良いとして
嫌いな理由が随分と自分勝手で
申し訳無いっす(-_-;)
中学生になってバスケ部に
入部しないかと言う誘いを断ったら苛められた。
くっだらねぇ理由だし俺がもっと強けりゃ
中学生活があんなにドス黒くならずに
済んだんじゃねぇかって思います。
小5くらいから学力が低いからと
親父にも御袋にも烈火の如く怒られる日々
家に帰りたくないって思った。
そんで中学生になりゃあ苛めにあって
余計勉強どころじゃなくなるから
両親に貶されるのなんて日常茶飯事。
文武両道な次女ちゃんと常に比べられてました。
とうとう何処にも居場所が無くなって
全部大嫌いになった事も有った訳です。
あ、因みに中3になってからちゃんと苛めの元凶を
しばき倒すくらいには立ち直ったし
其の頃から最下位だった成績も徐々に上がって
高校生になってからは得意科目に関しては
上位にいくくらいになったし
運動もちゃんとするようになって
思考が前向きになったんす!
お前は馬鹿だ、無能だと言われつ続ければ
本当に馬鹿や無能になっていくと言う事っすね!
其の時出来なかったとしても
比べずにのびのび育てれば
ちゃんと結果に出してくれると思うので
ウチの子は頭が悪い!
だなんて言わないで下さいね!
謙遜であっても駄目っすよ!
話が違う方向に向きかけましたが、
そんな経緯が有って中学生以降の俺は
攻撃的で喧嘩中毒になり
挙句よく他人を見下すようになりました。
苛められた人は他人の痛みが解るから優しくなれる?
俺が弱かったから性格が
歪んだだけかも知れないっすから
一概には言えないっすけど、
世の中そう甘くは無いっすよ。
両親や親戚に馬鹿にされた分だけ
馬鹿にし返す日々、必然的に嫌悪感も増しました。
早く実家を離れて一人になりたいと
ずっと思ってました。
で、20歳になって島根県から
兵庫県の神戸へ移住。
色んな呪縛から解き放たれたみたいで
清々しい気分だった!
23歳迄は週6日13時間労働で仕事三昧。
次女ちゃんと親友のるみたんを日々の支えにして
長時間労働を耐えていましたが
まぁ心が荒みましたよ!
珈琲に再熱したの長い通勤時間に読む本を
軽い気持ちで「珈琲のすべて」を選んだ事です。
因みに珈琲の魅力を初めて知ったのは
兵庫に引越す前(19歳後半くらい?)に
飲んだ栗栗珈琲さんの栗栗ブレンドっす!
で、「珈琲のすべて」を読んで珈琲に惹かれて
TULLY’S COFFEEさんのセミナーに通い、
Twitterで珈琲垢を作ったり
色んな自家焙煎珈琲店の珈琲を飲み漁り、
珈琲を仕事にしたいと
転職を考えるくらいになりました!
実際24歳の頃に大阪の珈琲屋さんで
働く事にもなります。
此れが大体23歳後半~24歳の出来事で
此の辺りで自分と言うものに目を向け
同時に大嫌いだった御袋と末妹ちゃんにも
目を向けるようになりました。
自分は不器用で弱い人間だから
無理に格好付ける必要は無いし
20歳の時に鳩子に玉砕された事で
想いも吹っ切れていたので
御袋を嫌いでいる理由も無いし
末妹ちゃんに至っては嫉妬だけで嫌ってたから
そもそも末妹ちゃんを理解する努力が
出来ていない事に気付きました。
其の頃から御袋や末妹ちゃんに
攻撃的な発言をするのを控えるようになりました。
20歳~23歳迄務めた職場を退職して
次の仕事を決める迄の1週間は島根の実家に帰り、
御袋やばっちゃんに
大好きな珈琲屋さんの珈琲を淹れた。
そしたら凄ぇ喜んでくれたし会話も不思議と弾んだ。
御袋に珈琲の魅力を伝え続けたら
御袋も珈琲にどっぷりハマってくれた。
珈琲によって性格を丸くなった俺は
其れ迄大嫌いだったのが嘘だと思うくらい
今では御袋や末妹ちゃんを知っていく度に
どんどん大好きになった!
多分珈琲を飲まずにいたら
今も御袋や末妹ちゃんの事が大嫌いだったと思います。
大嫌いだった過去も傷つけてしまった事も
消える事は無いですが
其の分此れからは家族の事を大事にします!
色々な切欠を作り輪を広げてくれた珈琲に感謝っす!
因みにどんな時でも次女ちゃんと
親友のるみたんだけは大好きな侭なんで
あの2人はマジ半端ねぇっす!
長くなってしまいましたが
皆さんも何かに行き詰った時は
珈琲や珈琲じゃなくても
心を落ち着かせてくれるものを見付けて
自分に向き合ってみて下さいね!
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立て続けに重い話をしてきましたが
今日のお話はそんなに重くないお話です!
実は俺、中学生迄シスコン兼ファザコンで
家族の中でも次女ちゃんと親父が大好きでした!
過去形になりましたが
次女ちゃんの事は今でも大好きっす!
じゃあ御袋や末妹ちゃんは如何なのかと言うと
小学校中学年くらいから大嫌いでした。
今でこそ「他人は他人、俺は俺!」と
声を大にして主張していますが
子供の頃はそんな事主張出来ないくらい
今以上に心身共に雑魚でした。
其々好きだった理由と嫌いだった理由を
サクッと話していくっす!
次女ちゃんの事が昔も今も大好きな理由は、
文武両道で自分と言うものを強く持っていたから。
親父の事が好きだった理由は
強くて格好良くて厳しいけど
不意に優しくしてくれるから。
御袋の事が嫌いな理由は
鳩子への想いをこっそり御袋にだけ打ち明けたら
翌日ばっちゃんをはじめとした親戚にバラされて
鳩子に暫く口きいて貰えなくなったから。
末妹ちゃんの事が嫌いな理由は
ちょっちドジ踏んでも皆に可愛がられてた所と
甘ったれた思考が気に食わなかったから。
好きな理由はまぁ良いとして
嫌いな理由が随分と自分勝手で
申し訳無いっす(-_-;)
中学生になってバスケ部に
入部しないかと言う誘いを断ったら苛められた。
くっだらねぇ理由だし俺がもっと強けりゃ
中学生活があんなにドス黒くならずに
済んだんじゃねぇかって思います。
小5くらいから学力が低いからと
親父にも御袋にも烈火の如く怒られる日々
家に帰りたくないって思った。
そんで中学生になりゃあ苛めにあって
余計勉強どころじゃなくなるから
両親に貶されるのなんて日常茶飯事。
文武両道な次女ちゃんと常に比べられてました。
とうとう何処にも居場所が無くなって
全部大嫌いになった事も有った訳です。
あ、因みに中3になってからちゃんと苛めの元凶を
しばき倒すくらいには立ち直ったし
其の頃から最下位だった成績も徐々に上がって
高校生になってからは得意科目に関しては
上位にいくくらいになったし
運動もちゃんとするようになって
思考が前向きになったんす!
お前は馬鹿だ、無能だと言われつ続ければ
本当に馬鹿や無能になっていくと言う事っすね!
其の時出来なかったとしても
比べずにのびのび育てれば
ちゃんと結果に出してくれると思うので
ウチの子は頭が悪い!
だなんて言わないで下さいね!
謙遜であっても駄目っすよ!
話が違う方向に向きかけましたが、
そんな経緯が有って中学生以降の俺は
攻撃的で喧嘩中毒になり
挙句よく他人を見下すようになりました。
苛められた人は他人の痛みが解るから優しくなれる?
俺が弱かったから性格が
歪んだだけかも知れないっすから
一概には言えないっすけど、
世の中そう甘くは無いっすよ。
両親や親戚に馬鹿にされた分だけ
馬鹿にし返す日々、必然的に嫌悪感も増しました。
早く実家を離れて一人になりたいと
ずっと思ってました。
で、20歳になって島根県から
兵庫県の神戸へ移住。
色んな呪縛から解き放たれたみたいで
清々しい気分だった!
23歳迄は週6日13時間労働で仕事三昧。
次女ちゃんと親友のるみたんを日々の支えにして
長時間労働を耐えていましたが
まぁ心が荒みましたよ!
珈琲に再熱したの長い通勤時間に読む本を
軽い気持ちで「珈琲のすべて」を選んだ事です。
因みに珈琲の魅力を初めて知ったのは
兵庫に引越す前(19歳後半くらい?)に
飲んだ栗栗珈琲さんの栗栗ブレンドっす!
で、「珈琲のすべて」を読んで珈琲に惹かれて
TULLY’S COFFEEさんのセミナーに通い、
Twitterで珈琲垢を作ったり
色んな自家焙煎珈琲店の珈琲を飲み漁り、
珈琲を仕事にしたいと
転職を考えるくらいになりました!
実際24歳の頃に大阪の珈琲屋さんで
働く事にもなります。
此れが大体23歳後半~24歳の出来事で
此の辺りで自分と言うものに目を向け
同時に大嫌いだった御袋と末妹ちゃんにも
目を向けるようになりました。
自分は不器用で弱い人間だから
無理に格好付ける必要は無いし
20歳の時に鳩子に玉砕された事で
想いも吹っ切れていたので
御袋を嫌いでいる理由も無いし
末妹ちゃんに至っては嫉妬だけで嫌ってたから
そもそも末妹ちゃんを理解する努力が
出来ていない事に気付きました。
其の頃から御袋や末妹ちゃんに
攻撃的な発言をするのを控えるようになりました。
20歳~23歳迄務めた職場を退職して
次の仕事を決める迄の1週間は島根の実家に帰り、
御袋やばっちゃんに
大好きな珈琲屋さんの珈琲を淹れた。
そしたら凄ぇ喜んでくれたし会話も不思議と弾んだ。
御袋に珈琲の魅力を伝え続けたら
御袋も珈琲にどっぷりハマってくれた。
珈琲によって性格を丸くなった俺は
其れ迄大嫌いだったのが嘘だと思うくらい
今では御袋や末妹ちゃんを知っていく度に
どんどん大好きになった!
多分珈琲を飲まずにいたら
今も御袋や末妹ちゃんの事が大嫌いだったと思います。
大嫌いだった過去も傷つけてしまった事も
消える事は無いですが
其の分此れからは家族の事を大事にします!
色々な切欠を作り輪を広げてくれた珈琲に感謝っす!
因みにどんな時でも次女ちゃんと
親友のるみたんだけは大好きな侭なんで
あの2人はマジ半端ねぇっす!
長くなってしまいましたが
皆さんも何かに行き詰った時は
珈琲や珈琲じゃなくても
心を落ち着かせてくれるものを見付けて
自分に向き合ってみて下さいね!
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Posted by 七罪【ナツミ】 - 2020.11.01,Sun
Hu jambo!
タイトルから解る通り今回は思いお話なので
苦手な方は閲覧をお控え下さいませ!
もう何度も言っているので御存知かと思いますが
俺は大阪の珈琲屋さんで働いてた時に
鬱病・パニック障害・強迫症になり、
早く治そう、元気爆裂で早く自立しようと
気が急いでしまったばっかりに去年の今頃くらいに
状態悪化させて地元に帰って来て今に至りますが
今はあの時程状態は悪くありません。
と言うのも「無理に早く治そうとするよりも
自分に合った付き合い方をして一緒に人生を歩んだ方が
気持ち的にも楽なんじゃないか?」
と思い至ったからっす!
実際今年の5月くらいから其の考え方になってから
気持ちが楽になって感情の波も発作も
可也少なくなりました。
完治には程遠いし遣る気が有る時と無い時の差は
相変らず激しいですが、
其れでも自殺願望は無くなりましたし
楽しいと思える事も増えました!
さて、病気のは話は此処迄にして
ジェンダーの話をしましょう。
俺は性別に違和感が有ったと言うよりも
親父に度重なる「お前が男だったら良かったのに」
と言う発言がストレスになり
挙句御袋から貰った自分の本名の由来が
「菜の花を摘むような優しく可愛い
女の子らしい子に育ちますように」
と言うデロデロバァな由来で
御袋から女と言う性別を押し付けられた挙句に
最愛の親父からは「男だったら良かったのに」発言。
餓鬼の頃から「選んで女になった訳じゃねぇのに・・・
俺は如何すりゃ良いんだよ・・・」
と思い悩む事が多く有った。
そんで高校生になる迄は
一人称が「私か自分の名前」だったのが
高校生になってからは「俺」になった。
「俺」と言う一人称は自分を強くしてくれる気がして
使い始めた一人称だったし、響きも良くて結構好きだ。
でも今迄私だの自分の名前を一人称にしたりして
其れで馴染まれてた人には違和感を感じさせてたらしく
「急に変わったね」「アニメか漫画の影響?」なんて
よく言われたもんっすよ!
話を戻すと俺は小5~中学生の頃が人生のカオス期で
家でも両親との関係が険悪で学校では苛められてと
何処にも逃げ場が無くて自殺しても
おかしくないような状況だったんす。
でも其の時は、
今を耐えれば鳩子(に惚れてたから)と幸せになれる!
と言う初恋パワーで自殺の事すら
考えてなかったので其れだけが救いでした。
因みに両親とは現在和解済みですので
御安心下さいね!
まぁ、20歳の頃に最後の告白したら
見事に玉砕しちまいましたけどね!
女である事に強いストレスと感じていましたが
同時に鳩子に惚れている事で
女で良かったともほんの少し思っていたので
鳩子にちゃんと振られてからは恋愛もせず
気付けば女である事に違和感しか感じなくなりました。
社会人になってからはメンズ服を着るようになり
24歳には初めてベリーショートにして
今迄以上にボーイッシュになりました。
長年ロングヘアでしたが
急に気分でベリーショートにして貰って
意外と違和感が無くて
此れが本来の自分なんじゃないかって思ったら
少しだけ人生が楽しくなった気がした。
然し同時に苦しくもなって
一時期マジで性転換手術を受けようかと
思い悩んだ事も有りました。
実際家以外でトイレ行く時は
女性用トイレに入るのを躊躇ったり
仕事の日は女性用更衣室に入るのを躊躇うくらいには
女である事の違和感が強まりました。
だから24歳~27歳迄は、
俺はトランスジェンダーなんだって思ってたし
「可愛い」より「格好良い」と
言われる方が心地良かった。
でも或る時何時もと違う事がしたくて
久し振りにスカートを履いたら気持ちが上がった。
其の日の内は普段と違う自分になれた事に
テンションガン上げ状態なんだけど
翌日には自己嫌悪に陥る。
女である事に違和感を感じてるのに
不意に女の恰好で女みたいな所作なんてして
我ながら気持ち悪いし
死んでしまいたいと思う事が多かった。
大阪の珈琲屋さんを辞めて
神戸の珈琲屋さんで働くようになった時、
制服がワンピースにふわっとしたエプロンで
偶にじゃなくて仕事の時は常に女みたいな恰好で
女みたいに振る舞わないといけない事に
強いストレスを感じた。
ストーカーまがいな事されて一番嫌だったのが
女としての自分しか見られてないような
女でない自分に価値が無いような
そんな錯覚に陥った事だった。
そんで其の事件(?)が切欠で少しの間だけど
不特定多数の前でスカートを履くのが怖くなった。
家族や女友達と居る時はスカート履けるけど
未だに男性と一緒に居る時に
スカートを履く気にはなれないでいる。
そんな男でも女でもないハッキリしな状態に
暫く苦しめられてた時にXジェンダーの存在を知る。
自分はXジェンダーなのかも知れないって思ったら
女でいたい訳でも男でいたい訳でもなく
其の時々の気分で其の時の自分を楽しむ
無理に性別の枠に嵌らなくて良いんだって思えて
一気に気持ちが楽になった!
其れからは女の恰好をして女の所作をして
翌日自己嫌悪に陥る事も無くなったし
「可愛い」と言われても凹まなくなった。
寧ろ「可愛い」とも「格好良い」とも言って貰える
中性的な自分の顔面や体格が好きになった!
で、タイトルの結論に至るんすけど
自分が長年形成した性質ってのは
そう簡単には変わらないし
無理に矯正する必要はないと思ってる。
俺は不器用だし口も頭も悪いけど
苦手な事も克服しようって思うタイプだったから
苦しむ事も多かった。
勿論自分の駄目な所は改善すべきだと思うけど
不器用なのって昨日今日始まった事じゃないし
生き辛くはあるけど死にはしないから
そんな徹底的に克服せんで良いかなって最近思う。
病気もジェンダーも自分に合った向き合い方をして
ゆっくり一緒に歩んで行けば苦しくない。
ちゃんと付き合えば無理だって状態に陥らないように
自分で気を付けようとするだろうからね。
長くなりましたが急がずマイペースに
自分らしさを探して付き合って
1度しかない人生を楽しみましょうって話でした!
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タイトルから解る通り今回は思いお話なので
苦手な方は閲覧をお控え下さいませ!
もう何度も言っているので御存知かと思いますが
俺は大阪の珈琲屋さんで働いてた時に
鬱病・パニック障害・強迫症になり、
早く治そう、元気爆裂で早く自立しようと
気が急いでしまったばっかりに去年の今頃くらいに
状態悪化させて地元に帰って来て今に至りますが
今はあの時程状態は悪くありません。
と言うのも「無理に早く治そうとするよりも
自分に合った付き合い方をして一緒に人生を歩んだ方が
気持ち的にも楽なんじゃないか?」
と思い至ったからっす!
実際今年の5月くらいから其の考え方になってから
気持ちが楽になって感情の波も発作も
可也少なくなりました。
完治には程遠いし遣る気が有る時と無い時の差は
相変らず激しいですが、
其れでも自殺願望は無くなりましたし
楽しいと思える事も増えました!
さて、病気のは話は此処迄にして
ジェンダーの話をしましょう。
俺は性別に違和感が有ったと言うよりも
親父に度重なる「お前が男だったら良かったのに」
と言う発言がストレスになり
挙句御袋から貰った自分の本名の由来が
「菜の花を摘むような優しく可愛い
女の子らしい子に育ちますように」
と言うデロデロバァな由来で
御袋から女と言う性別を押し付けられた挙句に
最愛の親父からは「男だったら良かったのに」発言。
餓鬼の頃から「選んで女になった訳じゃねぇのに・・・
俺は如何すりゃ良いんだよ・・・」
と思い悩む事が多く有った。
そんで高校生になる迄は
一人称が「私か自分の名前」だったのが
高校生になってからは「俺」になった。
「俺」と言う一人称は自分を強くしてくれる気がして
使い始めた一人称だったし、響きも良くて結構好きだ。
でも今迄私だの自分の名前を一人称にしたりして
其れで馴染まれてた人には違和感を感じさせてたらしく
「急に変わったね」「アニメか漫画の影響?」なんて
よく言われたもんっすよ!
話を戻すと俺は小5~中学生の頃が人生のカオス期で
家でも両親との関係が険悪で学校では苛められてと
何処にも逃げ場が無くて自殺しても
おかしくないような状況だったんす。
でも其の時は、
今を耐えれば鳩子(に惚れてたから)と幸せになれる!
と言う初恋パワーで自殺の事すら
考えてなかったので其れだけが救いでした。
因みに両親とは現在和解済みですので
御安心下さいね!
まぁ、20歳の頃に最後の告白したら
見事に玉砕しちまいましたけどね!
女である事に強いストレスと感じていましたが
同時に鳩子に惚れている事で
女で良かったともほんの少し思っていたので
鳩子にちゃんと振られてからは恋愛もせず
気付けば女である事に違和感しか感じなくなりました。
社会人になってからはメンズ服を着るようになり
24歳には初めてベリーショートにして
今迄以上にボーイッシュになりました。
長年ロングヘアでしたが
急に気分でベリーショートにして貰って
意外と違和感が無くて
此れが本来の自分なんじゃないかって思ったら
少しだけ人生が楽しくなった気がした。
然し同時に苦しくもなって
一時期マジで性転換手術を受けようかと
思い悩んだ事も有りました。
実際家以外でトイレ行く時は
女性用トイレに入るのを躊躇ったり
仕事の日は女性用更衣室に入るのを躊躇うくらいには
女である事の違和感が強まりました。
だから24歳~27歳迄は、
俺はトランスジェンダーなんだって思ってたし
「可愛い」より「格好良い」と
言われる方が心地良かった。
でも或る時何時もと違う事がしたくて
久し振りにスカートを履いたら気持ちが上がった。
其の日の内は普段と違う自分になれた事に
テンションガン上げ状態なんだけど
翌日には自己嫌悪に陥る。
女である事に違和感を感じてるのに
不意に女の恰好で女みたいな所作なんてして
我ながら気持ち悪いし
死んでしまいたいと思う事が多かった。
大阪の珈琲屋さんを辞めて
神戸の珈琲屋さんで働くようになった時、
制服がワンピースにふわっとしたエプロンで
偶にじゃなくて仕事の時は常に女みたいな恰好で
女みたいに振る舞わないといけない事に
強いストレスを感じた。
ストーカーまがいな事されて一番嫌だったのが
女としての自分しか見られてないような
女でない自分に価値が無いような
そんな錯覚に陥った事だった。
そんで其の事件(?)が切欠で少しの間だけど
不特定多数の前でスカートを履くのが怖くなった。
家族や女友達と居る時はスカート履けるけど
未だに男性と一緒に居る時に
スカートを履く気にはなれないでいる。
そんな男でも女でもないハッキリしな状態に
暫く苦しめられてた時にXジェンダーの存在を知る。
自分はXジェンダーなのかも知れないって思ったら
女でいたい訳でも男でいたい訳でもなく
其の時々の気分で其の時の自分を楽しむ
無理に性別の枠に嵌らなくて良いんだって思えて
一気に気持ちが楽になった!
其れからは女の恰好をして女の所作をして
翌日自己嫌悪に陥る事も無くなったし
「可愛い」と言われても凹まなくなった。
寧ろ「可愛い」とも「格好良い」とも言って貰える
中性的な自分の顔面や体格が好きになった!
で、タイトルの結論に至るんすけど
自分が長年形成した性質ってのは
そう簡単には変わらないし
無理に矯正する必要はないと思ってる。
俺は不器用だし口も頭も悪いけど
苦手な事も克服しようって思うタイプだったから
苦しむ事も多かった。
勿論自分の駄目な所は改善すべきだと思うけど
不器用なのって昨日今日始まった事じゃないし
生き辛くはあるけど死にはしないから
そんな徹底的に克服せんで良いかなって最近思う。
病気もジェンダーも自分に合った向き合い方をして
ゆっくり一緒に歩んで行けば苦しくない。
ちゃんと付き合えば無理だって状態に陥らないように
自分で気を付けようとするだろうからね。
長くなりましたが急がずマイペースに
自分らしさを探して付き合って
1度しかない人生を楽しみましょうって話でした!
Tutaonana tena!
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